特別企画「ともに」

第4回
7月9日(土) 13:00~13:54


絆が深い島!~浦戸・桂島の今
 大震災から4カ月。塩釜市の離島・浦戸諸島の桂島。家屋の流出、倒壊も多く見られましたが、がれきの撤去作業は全く進んでいません。
 島の主要産業であるノリをはじめとする「養殖漁業」は大きな被害を受けました。この地区には13軒のノリの生産者がいましたが、震災後は10軒に減りました。現在、その10軒の生産者が共同でノリの養殖の復活に向けて、「養殖いかだ」作りの作業をしています。
 13台あったノリの製造機も4台しか残っておらず、厳しい条件での再スタートですが、生産者は思いを一つに、11月の収穫を目指し、ともに作業を続けます。


石巻・長面浦の「いま」
 石巻市の北上川河口の長面浦は震災で大きく地形が変わりました。地盤沈下で海水浴場はなくなり、田んぼ、その周りの集落も水没しました。内海のはずの長面浦がひとつの湾のように見えます。長面浦の尾の崎集落で長年、民宿「のんびり村」を営んできた坂下健さん・清子さん夫妻。
 震災から3カ月が過ぎた6月下旬、ボランティア団体、初めてこの地区に支援に入りました。がれきの撤去、そして打ち上げられた坂下さんの船を海に戻そうと懸命な作業が続きました。2日間でのべ200人が「のんびり村」再建のために尽くしてくれました。
 夕暮れ時の長面浦を眺めながら、坂下健さんは「営業再開というよりも、憩いの場所を作りたい。離れて行った人も、心はここにある。ふるさとのことを人間は忘れない」と大好きなこの長面浦で、2年かかるか、3年かかるか分からないが、もとの暮らしをと思う」と決意を語ってくれました。


地域を支える!宮城復興支援センター、その後
 震災直後から仙台を拠点に被災者支援を続ける宮城復興支援センター。南三陸町歌津地区を中心に、現地に何日も泊り込んで地域の溶け込み、寄り添うように、きめ細かい支援を続けているのが船田究さん。
 7月2日、2004年新潟中越地震の被災地で行われた報告会は岩手や福島の支援団体も参加して行われました。
 「現地のコーディネーターがもっと必要」「民間の災害対策マニュアルを作り、それを行政のマニュアルに組み込むことを目標に」といった意見が出されました。
 翌日、中越地震で大きな被害を受けた地域に向かい、地元の人たちとの意見交換会に参加しました。この地域では復興に向かう中で、地域の行事がより活発になり、毎週のようにイベントが行われるようになったそうです。「村の人たちが一日一緒になって楽しくやることが復興には大事」。
 旧山古志村は地震後、人口は減ってしまいましたが、美しい棚田をはじめ、元の生活を取り戻したそうです。その背景には、当時の仮設住宅に集落がそのまま入れたことが大きいといいます。今回の震災で、仮設住宅で知らない人同士が隣と聞き、心配しているといった声が聞かれました。
 船田さんは今回の新潟訪問で、「今はまだ復旧だけど、復興が始まった時に、中越の事例を活用できると思った。地域の文化・歴史を大切にしている。それが一つのコミュニティ作りの起点になるし、誇りでもある。勉強になった」と話していました。


北釜耕人会・いずれはチンゲンサイを
 仙台空港東側の海沿いに面した名取市北釜地区。チンゲンサイをはじめとしたハウス野菜の生産が盛んな土地でした。農家の一人・高梨仁さんは同じ北釜地区でチンゲンサイを栽培してきた仲間と「北釜耕人会」というグループを立ち上げました。震災に負けず、これからも畑で生きていくという意味が込められています。この地区で栽培されていたチンゲンサイは仙台市場で7割から8割のシェアを占め、高い評価を受けていました。ハウスが流されたため、チンゲンサイを露地栽培で収穫するには生育期間が長くかかるため、今は種をまいてから短期間で収穫できるコマツナを栽培しています。
 7月3日、メンバーは仙台市内で開かれた[JAグループ宮城]の復興イベントに参加しました。自分たちで作った野菜を復興のシンボルにしていく。メンバーの思いは会場を訪れた人たちにも届いたようです。
 高梨さんたちは、自分たちの暮らしを支えてくれた「北釜のチンゲンサイ」を復活させたい。そんな思いで、これからのためにチンゲンサイの種をまきました。