特別企画「ともに」

第5回
8月13日(土) 13:00~13:54


石巻・雄勝半島、船越地区の「いま」
 震災で最も多くの犠牲者をだした石巻市の北東部に位置する雄勝町。船越地区はホタテの養殖やウニ、サケなど、豊かな海の恵みで潤されてきた小さな集落です。津波によって約130軒のうち9割の家屋が流出し、9人が犠牲になりました。漁協や加工場など漁港も機能が失われてしまった港に、毎朝20人ほどの漁師が集まります。1メートルほど地盤沈下した港では、満潮になるたびに瓦礫が打ち上げられるため、撤去作業が欠かせないのです。
 漁師たちのほとんどは、住む家を失ったため、車で1時間以上かけて船越に通っています。もう一度、この船越で漁ををしたい!しかし漁の再開には厳しい現実があります。
 漁をしたくても、道具がないのです。がれきの山の中からまだ使えそうな網やロープを取り出し、再利用するのです。
 「みんな漁師だから、魚をとることが元気の源。魚をとるって言うと皆、張り切っている。自分たちで半歩でも前に進もうと思って。みんなで。仲間で。」
 ある漁師さんの言葉です。


亘理ファンと“ともに”歩む復興を
 「ふらっとーほく」の松島宏佑さんは内陸部の白石出身ですが、イチゴ農家のおばさんが住む亘理を助けたいと、震災以降、ずっと亘理に通い続けています。松島さんはインターネットを利用して、独自にボランティアを集めることから始めました。宿泊場所として温泉宿を紹介して、ボランティアの参加しやすい環境を整え、同時に温泉宿には観光支援となるプロジェクトです。復旧が進む中、肉体労働だけでなく、新しい支援の形が求められています。
 亘理災害ボランティアセンターでは、活動を終えて戻ってくるボランティアに、飲み物と一緒に、地元のお母さんたちが作ったイチゴのマスコットが手渡されます。亘理ファンを増やそうとの思いです。
 住宅の泥出しなどは順調に進み、亘理のボランティアセンターは先月末で閉鎖されましたが、亘理ささえあいセンター「ほっと」が開設されます。松島さんの温泉斡旋プロジェクトも終わりますが、今後はメールマガジンやフェイスブックでボランティアとつながり、亘理に人を呼ぶ仕組みを作る予定です。5年10年と復興を一緒に歩んでいくような関係性作りをウェブを使ってやっていきたいといいます。


築地のアンテナショップ、その後~宮城復興支援センター
 先月、東京・築地に、宮城県沿岸部で被災した企業や生産者の商品が並ぶ店舗がオープンしました。運営は南三陸町を中心にボランティア活動を続けてきた宮城復興支援センターの船田究さんです。被災した企業や被災者が、経済的にも自立するために、新しい販路を開拓する必要性を感じて、中央区や市場の協力を得て、店舗オープンにこぎつけたのです。
 買い物に訪れた人は、普段何もできないもどかしさを感じていて、被災のものを買うことによって被災地を応援したいと思ったといいます。全国には支援したいのに踏み出せない、行けない、邪魔になるのでは?でも支援したいという思いの人がこんなにもいたんだと、船田さんは話します。支援は新たな段階に入りました。


志津川 老舗かまぼこ店の復興
 夏祭りが県内各地で行われていますが、先週大崎市で行われた夏祭りで、大津波で全てを流されてしまったある男性が頑張っている姿がありました。南三陸町志津川で130年続く老舗かまぼこ店の6代目・及川善弥さん。
 津波で店舗や工場がすべて流され、かまぼこを作ることが出来なくなりました。身一つで難を逃れた善弥さん、かまぼこ作りに欠かせない大事な包丁も流されてしまいました。しかし2カ月後、近所の人が包丁を見つけ届けてくれました。その日が4代目の命日だったそうです。
 かまぼこ作りが出来ない今、善弥さんは志津川名産のタコを待ちわびていた人たちに届けようと、登米の新工場でタコのボイル作業を行っています。工場内には中古で買い揃えた蒲鉾作りの機械が搬入され、早ければ今月末にはささかま作りを再開させたいといいます。
 ふるさと・志津川に骨を埋める覚悟で、それまでは登米から、おいしいかまぼこと志津川のタコを発信していけたらと、善弥さんはがんばっています。