特別企画「ともに」

第6回
9月10日(土) 13:00~13:54


民宿の主人が奥松島の再開をめざす
 東松島市奥松島地区、この地区の産業を支えてきた観光の分野でも、少しずつでありますが、復興の動きが見えてきました。民宿のご主人は来月末の営業再開を目指しています。震災前まで、奥松島の観光の目玉として人気だった、様々な海の体験プログラムの再開も考えています。
 6月末に使えるようになったインターネットを利用した「奥松島観光再生プロジェクト」を立ち上げました。支援金を募り、漁業・体験資材、観光施設の修理などにあてて再生を図る予定です。


桂島の秋祭り、そして海苔養殖再開へ
 塩釜市の離島・浦戸諸島にある「桂島」では、家を失った人も多く、さらに島の産業・海苔の養殖でも大きな被害を受けました。製造機や加工場を流された生産者が少なくなく、残った機械を共同で使うことを決め、筏の作り直しなど、養殖再開に向けたすべての準備を、これまで共同で行ってきました。
 ようやくこぎつけた種付け作業、収穫を左右する、大切な作業。今年は例年の3分の2の6,000枚の網に種付けを行う予定だそうです。
 震災から半年、桂島の復興は形となって現れ始めました。


七ヶ浜町花渕地区の住民は、こうして津波から免れた
 七ヶ浜町花渕浜地区の神社の氏子青年会の有志で、自主防災会が結成されたのは5年前。何かあった時、すぐに集まる「いっとき避難場所」を地区内に12か所設け、独自に避難訓練を始めました。また、実際に避難して気付いたことを話し合い、防災マップにして、全戸に配りました。あの日、避難場所の一つ、「同性寺」に47人が避難しましたが、ラジオからの情報で、予想された津波が到来したら、避難したお寺が水没する可能性があったため、さらに高台に移動して難を逃れたのです。
 行政とは別の住民による自主的な避難活動は注目を集めました。先月末、愛媛県沿岸部の5つの副市長らが、花渕浜自主防災会の話を聞きたいと、七ヶ浜を訪れました。 マップを作る過程で、住民同士が相当に議論した過程が大切、と専門家は言います。とっさのとき、自分達で身を守る意識を持っていたことが、いい結果になったのではないかとの意見もありました。自主防災会の一人は、また生まれ育った花渕浜に家を建てるといいます。
「津波は嫌だけど、それよりここに住みたいっていう想いが強い。津波が来たら、また逃げればいいんですから。」


歌津、伊里前地区の住民は今
 宮城復興支援センターは、震災直後から、南三陸町を中心に被災地支援の活動を続けています。支援物資の提供に始まり、地域のつながりを生む活動をしたり、被災地の商品を販売する店を築地に出したり、変化する細かいニーズを拾い上げながら、次々に活動を広げています。
 メンバーの一人、京都からやってきた岡部哲典さんは大工が本職。今、仮設住宅の応急改修の依頼がとても多いのです。玄関の庇が小さく、雨の日はドアを開けるだけで、室内にまで雨が入ってしまいます。部屋のサッシを開けると、60センチほど下は、すぐ地面で、子供が落ちてしまったこともあるそうです。
 庇やバルコニー作り、手際いい作業とはいえ、一人では一日一軒分が限界です。予約が絶え間なく入っているそうです。岡部さんの作業を多くの人が心待ちにしています。 地域に溶け込み、地域の声に耳を傾けながら、活動を続ける岡部さん。行政では手が届かない支援のニーズは、まだまだたくさんあります。


被災地のメッセージを届けたい・再開した酒屋の思い
 気仙沼市の酒屋「ももや」。津波とその後に起きた火災で壊滅的な被害を受けた鹿折地区で60年以上も営業してきました。テンポも自宅もすべて流されたため、市内の松川前にプレハブで3月下旬に営業を再開しました。長年利用してくれたお客さんのために、「ももや」の熊谷淳店長は避難所や個人宅を回って営業を始めました。
 先月、「ももや」では新たな取り組みを始めました。それは、気仙沼で被災した2つの酒造メーカーのお酒に、周囲から聞こえてきた言葉や、被災地にいて自分達が感じた言葉をラベルにして、インターネットで販売するというもの。
 被災地のメッセージを届けるとともに、被災地した地元企業への支援ともなる今回の挑戦。熊谷店長は、その先に、ある目標を見据えていました。いつかまた、鹿折でお店を開きたいという目標です。