特別企画「ともに」

第7回
10月15日(土) 13:00~13:54


「青い鯉のぼりプロジェクト」その後
 震災で当時5歳の弟、母親、祖父母を亡くした東松島市の高校3年生・伊藤健人さん。兄弟で太鼓を叩いていた健人さんは、憧れの存在だった和太鼓ユニットの協力を得て、「青い鯉のぼりプロジェクト」を立ち上げた。5月5日、特に可愛がっていた弟・律君のために全国から集まった200匹の青い鯉のぼりが、和太鼓の演奏にのって空高く泳いだ。
 それから5カ月が過ぎ、健人さんは次の目標に向けて動き出しました。プロジェクトに賛同してくれた和太鼓メンバーと一緒に震災の復興と追悼のコンサートを開催することにしたのです。コンサートには大勢の人が駆けつけてくれました。初めての大舞台は、健人さんたっての願いで実現した「希望を表現した曲」で幕を閉じました。夢は、生きて行く希望を与えてくれる。健人さんは亡くなった家族のためにも、これからも前を向いて生きて行くことを誓ってくれました。


仮設テント商店街~一日も早い商店街復活に向けて立ち上がる
 震災前には南三陸町歌津・伊里前商店街には39店舗ありましたが、津波により壊滅しました。廃業や伊里前以外の場所で営業再開を考える商店主も少なくありません。現在10数店舗が伊里前での再開の意思を示しています。公民館の跡地に仮設の商店街を作る計画となっていますが、建設予定は早くとも11月になってしまいます。その前に、「一日でも早い再開を」と商店主が動き出しました。
 仮設の商店街を作る前に仮設テントでの仮設の商店街です。ボランティアや建築業者の協力で、テントは幅10メートル、奥行き24メートルの大型のものが組み上がりました。棚作りや商品の陳列にもボランティアらの手を借りて、準備作業は急ピッチで進められました。衣料品店や美容室、屋外では鮮魚店などが軒を連ねます。そしてオープン。
 訪れた住民の評判も上々です。しかし、喜んでいたのは、住民たちだけではありませんでした。震災以来、初めて店を開いた商店主。苦労してオープンにこぎつけた分、喜びもひとしおです。
 「とにかくお客さんが来てくれて、ありがたかった。だんだん復興の形が見えてきた。たぶん同じような商売をしている人も勇気づけられるのではないか」
 商店主たちの強い思いで始まった仮設テント商店街。復興に向けて、確かな一歩を踏み出しました。


宮城復興支援センターの活動
 宮城復興支援センターは、震災直後から、南三陸町を中心に被災地支援の活動を続けています。支援物資の提供に始まり、地域のつながりを生む活動をしたり、被災地の商品を販売する店を築地に出したり、変化する細かいニーズを拾い上げながら、次々に活動を広げています。
 メンバーの一人、京都からやってきた大工が本職の岡部哲典さんは、ワカメやカキの養殖を行っていた住民の依頼を受けて、津波で流されたり、枯れたりした杉を材料に仮設の倉庫を作っていました。
 船田究さんは東京で魚の販売ルートを探して、ようやく東京の通販会社が支援してくれることになったのです。早速、漁師の家を訪れ、鮭の販売の日程が決まったことを報告しました。さらに、町内の水産加工会社に向かい、獲れた鮭を発送してくれるよう依頼しました。こうすることで、漁師と水産会社の二つを同時に支援することになるのです。
 被災地の経済活性化に向け、宮城復興支援センターの新たな支援の取り組みが始まりました。


ボランティアから亘理町民へ、ともに歩む復興
 大阪出身の松本英之さんはボランティアから亘理町民となった、社会福祉協議会の生活支援相談員です。震災後の4月初めからボランティアとして亘理町に来た松本さんは、ボランティアをまとめるリーダーとしての活躍が認められ、9月、臨時職員に採用されました。現在は住民票を亘理町に移し、亘理町民となり、社宅で自炊をしながら同僚とともに暮らしています。臨時職員の期間は来年3月まで。それ以降も亘理町にとどまれる環境があれば、復興まで見届けたいと考えています。