特別企画「ともに」

第10回
1月14日(土) 12:53~13:48


震源に一番近い島
金華山の年越し
 石巻市牡鹿半島の東に位置する金華山は東奥三大霊場の一つ、黄金山神社があり、年間7万人が訪れる観光の島。あの日、金華山を震源とする東日本大震災が発生。この島は「震源から一番近い島」になりました。人的被害はなかったものの、境内は勿論のこと、桟橋が地盤沈下の影響で使用不能となりました。その後、思うように復旧工事が進まない中、追い打ちをかけたのが、昨年9月の台風15号です。震災で緩んでいた地盤に流れ込んだ大量の雨が土石流となり、神社と参道を襲いました。
神社仏閣は公的支援を受けられない。途方に暮れる神社に、復旧工事の手を差し伸べたのが、石巻をベースに活動するボランティア団体でした。
 ボランティアたちの協力で、仮桟橋や参道が整備され、初詣の参拝客を迎える準備が整いました。 そして、1月1日。日が昇ると、金華山の復興を待ち焦がれた多くの参拝客が桟橋に訪れ始めました。例年、三が日で3000人が訪れる金華山ですが、今年はおよそ1000人。いつもの年の3分の1に過ぎませんが、「震源に一番近い島」にとって、復興への確かな、しかも大きな1歩です。
 「金華山が復興することで、人の流れが変わる。縁やつながりも出来て、経済的・産業的にも変わる。ぜひ皆さんの力で、神社を盛りたてて、金華山の復興を成し遂げていきたい」。神社の権禰宜・日野篤志さんの言葉です。


震災乗り越え!再開へ
~亘理の観光いちご園
 県南の沿岸部・亘理町は東北一のいちごの生産量を誇っていました。吉田地区で観光いちご園を営んでいた鈴木信之さんは、生まれ育った自宅と、大切に育てていた「いちごハウス」もすべて津波で流されました。復興計画では、以前の場所で観光いちご園を再開することは難しいため、生活のため慣れ親しんだ土地を離れ、内陸にある逢隈の土地を借りることにしました。重機を運転し、整地からハウスの建設まで、周囲の協力を得ながら、そのほとんどを一人で行いました。
 去年11月に完成したハウスの中では、石巻の知人から譲り受けたイチゴの苗1万4千株が順調に育ち、少しずつ実を膨らませていました。12月に入ると、忙しい妻の里美さんも休日を利用して、寒さ対策でが続きます。そして例年より2カ月遅れで、ようやくハウスの冬支度も完了。夕暮れ時、ハウスの中では温度を保ち、いちごの成長を促す照明がようやくいちごを照らし始めました。観光いちご園のオープンに合わせ、いちごの実も少しずつ赤く色づき始めました。
 いちごの復活は、町の観光復興にもつながります。だからこそ、いちご一粒一粒にも今まで以上の価値があります。いよいよ鈴木さんの観光いちご園がオープンします。


あれから10カ月
~歌津の今
 南三陸町歌津で漁業を営む千葉正海さん。千葉さんは震災前、伊里前で60台ものいかだを使ってカキを養殖していました。養殖施設も自宅もすべて失い、養殖再開には6千万円もの資金が必要です。先月ホームページを立ち上げ、協力を呼びかけました。1口1万円の基金を募って、養殖施設を復旧させ、収穫後に、その半分に相当するカキを送るというものです。
 漁港の復旧状況が思わしくありません。「国も海の方はスピード感をもってやっていくと言っているけど、さっぱり」と嘆きます。先月には、「まちづくり協議会」を立ち上げましたが、漁港同様、行政側の動きはなかなか見えてきません。
 そんな中、地域の伝統を絶やさないという、強い思いが動き出していました。歌津地区寄木に伝わる小正月の伝統行事「ささよ」です。およそ250年もの間、受け継がれ、町の無形文化財にも指定されています。しかし、地区の3分の2の世帯が津波で被災、旗や法被も流され、存続が危機に瀕していました。この「ささよ」保存会の会長・畠山鉄雄さんは、震災から数カ月後、がれきの中から、旗が見つかったことで、やはりこの伝統行事を絶やしてはいけないとの思いを強くしたそうです。
 畠山さんの孫の信斗君は、今年の「ささよ」が例年以上の意味を持っていることを良く理解していました。「震災でささよどころじゃないと思っていたけど、例年通りとまではいかなないけど、ささよができてうれしいです」


被災者の自立を目指して
ワタママ食堂の取り組み
 石巻市渡波地区。身元が分かっただけでも500人近くの人が津波の犠牲になりました。渡波駅の近くにある以前ラーメン店だった建物に、去年11月「ワタママ食堂」という弁当屋がオープンしました。店を切り盛りするのは女性4人と男性2人。みんな津波で家や職場を失いました。渡波小学校に避難していた当時、炊き出しの有償ボランティアをしていたことから、避難所の閉鎖後も経済的な自立を目指し、弁当屋を開きました。お弁当は一つ350円。11月に40食でスタートしたお弁当は、1カ月もすると1日150食を用意するまでになりました。仮設住宅や近所の会社からも注文が寄せられます。
 1個からでも注文に応じています。家庭的な味付けも人気の理由です。この食堂のオーナー・菅野芳春さんは、食堂が軌道に乗ったので、次の展開を考えていました。菅野さんがボランティア活動をしてきたガーナの生地を使い、仮設住宅で暮らす人たちにエコバッグを作ってもらい、販売することで、作り手の収入源に出来ないかと、考えているのです。地域の人たちに浸透しつつある「ワタママ食堂」。経済的な自立と心の自立を目指した取り組みが、ここから広がろうとしています。