特別企画「ともに」

第8回
11月19日(土) 13:00~13:54


桂島~生産者たちの苦労の集大成!ノリの収穫へ~
 浦戸諸島・桂島。外洋に面した浜側では、津波によって多くの家屋や島を支えてきたノリの養殖の加工施設、製造設備などを失いました。しかし、生産者はあきらめることなく、震災直後から、養殖復活に向けて、共同で作業を進めてきました。
 9月はじめには、本格的な作業「ノリ網への種付け」が行われました。湾内で育苗や管理が続けられたノリは、順調な生育が確認された後、外洋に出され、さらに成長を促します。
 そして迎えた、収穫の時。10月31日に始まった収穫は、県内で最も早い収穫となりました。今年は震災の影響で、種付けできたノリ網は例年の半分以下の8000枚。しかし収穫できた事は大きな意味を持ちます。震災で休業を余儀なくされている県内のノリの生産者にとっても大きな希望の光となりそうです。


歌津の今~高台移転は?漁場は?
 津波で壊滅状態となった南三陸町歌津・伊里前地区。先月16日、住民の互助会的な組織の会合が開かれました。会長の千葉正海さんたちは、震災直後から、地区全体の高台移転を住民主導で目指しています。元の集落の裏手にある共有地を造成して、新たな集落を作り、以前の町並みを再現しようという計画です。早くから組織としての意思を固め、図面を作り、周辺の地権者との調整を進めてきましたが、国の動きが鈍く、予算や制度が固まらないため、思うように進展しませんでした。しかし、会合に出席した町の職員から、「3次補正予算がついた折には、なんとか実施設計までもっていきたい」など、希望のもてる言葉が出ました。
 千葉さんの長男・拓さんが、海の中の様子を確かめるために、海に入りました。意外なことに、がれきはほとんど残っていませんでした。歌津の海は、豊かさを取り戻しつつありました。その映像を見た千葉正海さんは「生きている」という言葉を口にしました。
 カキ養殖の再開を目指す千葉さん親子。あの日、すべてを奪った海が、今度はその背中を押してくれているようにも見えました。


牡鹿半島の今
 震災から8カ月が過ぎた今も、生々しい傷跡が残る牡鹿半島の中心部・鮎川。そんな鮎川地区で仮設商店街がオープンしました。その中には、酒屋を営んでいた沼倉憲一さんの店もありました。そこで売っていたのは、息子の雅毅さんが瓦礫の中から拾い集めたお酒が並べられていました。
 今、雅毅さんは仙台で別の仕事についています。震災で牡鹿の人口は4600人から2500人にまで減りました。この状態では、商売をやって、親子3人が生計を立てるのは、難しいだろうという理由です。そこには、牡鹿の厳しい現実があります。
 憲一さん夫妻は商売を二人でやっていって、生活が成り立つのであれば、仮設から出て別の店舗を作ってやるかどうかを考えたいと考えています。
 沼倉さん家族の決意を背負って仮設商店街がオープンしました。


復活に向け歩み出すイチゴ農家~亘理
 亘理町のイチゴ農家・伊藤裕樹さんの畑は長瀞地区にあります。約80センチの津波が襲い、イチゴは全滅。それでもハウスの骨組みが残ったことで、9人の農家が、イチゴの栽培を再開し、来月の出荷に向けて、準備を進めています。
 伊藤さんはボランティアの力を借りて、泥を削り取り、雨水などで塩分を洗い流し、畑は再生しましたが、大きな問題が残りました。イチゴの生育に不可欠な地下水の塩分です。地下水には生育に適する9倍もの塩分が含まれているので、津波の被害を免れた内陸部から、およそ2トンから3トンの地下水を毎日、朝と夕方2回運んでいるのです。
 伊藤さんの家には地下水を除塩する機械が設置され、実証実験が行われています。うまくいけば、この水汲みの作業が必要なくなり、その分、ほかのところに仕事の手が回るようになります。
 手間暇をかけ、大切に育てられているイチゴ。復興へと一歩ずつ進む、亘理町の「希望」のひとつ。そのイチゴも順調に育ち始めています。