掌蹠膿疱症による辛い症状や偏見に、ずっと耐えてきた鈴木久代さん。専門医との出会い、生物学的製剤の治験を経て、長年の症状から解放されたものの、心のトラウマは今も消えないといいます。自分と同じ思いをしてほしくないと、患者会の活動に尽力。涙ながらに体験談を話してくださいました。

Episode.1
水虫かも、と思っていたら…
今から約40年前、左足裏の土踏まずに小さな水疱湿疹が出ました。大したことないと思い、放置していたところ、1年後には右の土踏まずにも湿疹が移行。ただ、「何かにかぶれたか、水虫かも」と思い、市販薬を塗って過ごしていました。2、3年後には、両足裏全体に非常にかゆい水疱、小さな膿疱がたくさん出て、特に膿疱が広がっていきました。ここで初めて、近所の皮膚科クリニックを受診しました。

先生は、「これは今どき珍しい。掌蹠膿疱症ですよ。戦後すぐ、粗悪な材料での歯科治療が原因で一時流行ったんです」とおっしゃいました。病名の診断がついたので、快方に向かうと思いましたが、治療は外用薬のみ。残念ながら良くならず、悪化するばかり。膿疱がつながって大きな池のようになり、膿疱のあとは足裏の皮が厚くなってむけ始め、歩くとひづみでひび割れて、歩行時はとても痛かったです。爪の中にも膿疱ができ、爪が分厚く盛り上がってしまうのです。2、3年かけて何軒か他の皮膚科を受診しましたが、一向に良くなりませんでした。自己判断のもと、漢方塗り薬、漢方内服薬、民間療法なども試しました。

※当時診療を行った医師個人の見解です。

発症から13年後、47歳のときに、両手指の側面にかゆみを伴う湿疹ができ、あっという間に手全体に水疱、膿疱が広がっていき、赤くただれてしまいました。買い物のときはレジの方に不快感を与えてしまいましたし、商品を選ぶときも人の目が気になり、素手で商品をさわれませんでした。足は隠せますが、手はどうにもなりません。症状は悪化の一途をたどり、爪の中にも膿疱ができ、爪はボロボロに柔らかくなり、そして、爪がなくなってしまうのです。細かいものがつかめません。ボタンがけもできません。長男の嫁ということもあり、家事は淡々とこなさなければならない状況下。本当に辛かったです。
Episode.2
少し良くなったり、また悪くなったりの繰り返し
ある日、歯科金属アレルギーに関するテレビ番組を見た夫が、私の手足の症状とそっくりだと驚き、出演されていた先生を訪ねて、某大学病院の歯科アレルギー外来を2001年に受診。古い金属を除去する治療をしましたが、残念ながら、数年経っても一向に皮膚症状は良くならず、私の場合は、歯科金属が原因ではなかったのかもしれないとわかりました。現在では、掌蹠膿疱症の原因の一つとして、歯科領域では歯根病巣や歯周病が原因であるとわかってきています。

同大学病院の皮膚科も受診しました。皮膚科では私の症状は重症で、「家庭での生活は無理でしょう」と言われ、入院することになりました。家事全般が辛かったので、心底ホッとして涙が出たのを覚えています。治療は、手足、体も含め、外用薬および外用局所収れん剤、内服薬、PUVA、光線治療など。院内を歩くときは手すりにつかまるか、車椅子を使用しました。頭の中は、全体に脂漏性湿疹のようなものがヘルメットのごとく分厚くあり、毎日看護師さんがオイルを塗ってくれました。とても切ない気持ちになりましたが、背中まであった長い髪はバッサリ切り落としました。皮膚生検も数回しました。薬が変わった直後に下血が続き、出血性大腸炎になりました。非常に辛く、不安で不安で、心がどうにかなりそうでした。約3カ月の入院を経て、退院時には少しは楽になりましたが、まだまだ手足は包帯だらけ。杖も必要でした。

良くなるためにと、2002年には扁桃腺摘出手術をしましたが、少し良くなったり悪化したりの繰り返し。皮膚科の先生が遠方へ転勤なさるとのことで、2009年にS病院の掌蹠膿疱症専門医であるK先生へ私を託してくださったのです。現主治医のK先生は、患者の話をよく聞いてくださり、私に合う治療方法をいろいろ探してくださいました。しかし、症状は相変わらずの大波小波でした。
Episode.3
素手では何もできず、足は画鋲を踏むような痛さ
とても辛かったのは、朝起きてベッドから立ち上がるとき。足裏全体が腫れてひび割れを起こすため、体重をかけるとひび割れが口を開いて非常に痛く、まるで画鋲を数個以上踏みつけながら立ち上がる感覚です。それほど痛いのです。一歩踏み出すのも苦痛でした。歩行時も痛く、日常的に杖を使っていました。ただし、外用局所収れん剤を使用すると保湿されて、歩行時の痛みは軽くなります。手の症状が悪化してからは、素手で物は一切さわれず、20年近く洗顔やシャンプーも素手ではできませんでした。もちろん、家事も素手では無理。手はいつも塗り薬、外用局所収れん剤、包帯、綿手袋、薄いプラスチック手袋を順番に重ねてつけていました。お洋服のボタンがけが思うようにできず、イライラ。細かい作業は大変時間がかかります。

入浴時は真冬でもシャワーのみ。湯船に入ると、足裏全体の皮が浮いてきて一面皮だらけになるからです。気持ち悪いし、お掃除も大変。家族の目もありますしね。足も塗り薬、包帯等で処置をしなければ歩けないので、2サイズ以上も大きなスニーカーを履いていて、おしゃれとは無縁になりました。冠婚葬祭時は礼服と靴がチグハグで、恥ずかしい思いをしました。身体的苦痛はまだしも、見た目から受ける様々な偏見の目が精神的苦痛と相まって、とうとう私の心がついていけず、2009年に適応障害を発症。5年ほど、心療内科でカウンセリングと投薬治療を受けました。せめて、せめて、周りの親族だけでも理解を示してほしいものです。悲しいことに、今でもときどき、当時のフラッシュバックが起きます。
Episode.4
素足で歩き、素手でシャンプーができるように!
2015年か2016年頃から1年半ほど、S病院皮膚科で生物学的製剤の治験を実施。すべての治療薬を中止したのでとても不安でしたが、治験終了後、信じられないことが起きたのです。手足の水疱、膿疱はもちろんのこと、お尻まわりの湿疹、頭の湿疹がきれいに消えたのです。何十年ぶりに家の中を素足で歩き、素足でベッドに入り、お風呂にも入れて、手のひらもきれいに。爪はまだでしたが、シャンプー、洗顔も、何もかも素手でできるようになりました。普通の人間に戻れた気がして、「ああ、生きていて良かった」と心底思い、今でも思い出すと涙が出ます。

生物学的製剤が承認後、今でも定期的に投与を受けています。現在は手のひらに多少の湿疹はありますが、K先生のもとで治療を続け、日常生活上問題なく過ごせています。そして、歯は痛みやぐらつきがないものの、違和感を感じたので診ていただいたところ、歯根病巣があり、歯根嚢胞除去の手術をしていただきました。今も歯周病、歯根病巣治療の専門医のK先生に治療を継続していただき、4カ月に一度検診に通い、症状軽減に大いにつながっています。
Check
患者会に参加してみよう

2020年春頃、主治医のK先生より患者会発足のお声がけをいただきました。掌蹠膿疱症で病名もわからず苦しんでいる方、私のように心身ともに辛い思いをなさっている方、どこに助けを求めて良いか悩んでいる方たちに、一人でも多く良い治療を受けていただきたい一心で、参加を決意しました。
日本中の皮膚科、歯科、耳鼻科、整形外科、リウマチ科などの先生方に対して、掌蹠膿疱症の認知度を上げるべく、K先生を筆頭に、患者7名、看護師1名、計9名で、2020年9月に会員募集を伴う患者会を発足。現在は役員13名、会員数は約93名まで増えました。それぞれの担当役員が全国各地で学会に参加し、ブース出展などを通して啓発活動をしています。国内だけではなく、国外に向けたグローバルな活動も始動しました。

患者会に入会するメリット1つ目として、年4回実施しているオンライン懇談会に参加できます。著名な専門医の講演が聞けて、時間が許す限り先生方に直接質問もできます。 2つ目は、専門医3名~4名によるPPPサポートチームから、ストレッチや筋膜リリース運動の指導が受けられます。3つ目は、オンラインでのPPPカフェ。不定期ではありますが、会員さん同士で集まり、ざっくばらんに困り事、悩み事、良かったことなどをお話できる情報交換の場です。4つ目は、年1回発行している機関紙。講演内容などの情報が詰まっていて、私たち患者にとって宝の山です。

今辛い思いをなさっている方がいたら、患者会への入会をご検討いただけたらうれしいです。一緒に頑張っていきませんか? 詳細やお申し込みについては、掌蹠膿疱症患者会PPPコミュニティのサイトをご覧ください。
掌蹠膿疱症患者会 PPPコミュニティ
公式サイト https://ppp-community.com/
Message
手足の症状があったら、早めに受診を
現在の私は、普通に歩き、普通に物にさわり、友人たちと泊りの旅行にも参加でき、こんな幸せな日が来るとは思いませんでした。食事もおいしく、12kg太って体力もつきました。医学は日進月歩です。数十年前にはなかった、さまざまな新しい治療法、皮膚科はもちろんのこと、多岐にわたり診療協力体制が着々と進んでいます。手足の症状でまだ通院されていない方は、早めの皮膚科受診をしてください。
一人で悩まないで
あなたは決して一人ではありません。ぜひ、患者会に連絡をしてみてください。何かお役に立てることがあるかもしれません。私のように重症になる前にお願いします。
周りの人が良き理解者になってほしい
私は、掌蹠膿疱症のせいで大好きな水泳とゴルフを諦め、落ち込んでいました。落ち込んでいた私を、友人が水彩画教室に誘ってくれました。筆は軽いからやってみようと重い腰を上げ、習うことに。初めて教室に行った日、先生から「おい、手袋をしたままで絵を描くやつがあるか」とお叱りを受けたんです。手袋を外すと、先生が座っていた椅子と一緒にすごい勢いでのけぞり、「うわあ。うつるんじゃないだろうな」と大声。これぞ、一般人の反応なんです。辛かったですが、私もだいぶ打たれ強くなっていて、毅然と手袋をはめ直し、童心にかえり絵を描いてきました。今では先生をはじめ、教室の先輩方は良き理解者です。掌蹠膿疱症は、決してうつりません。周囲の皆さまのご理解をいただけましたら幸いに存じます。